2014年11月 6日 (木)

新作ドキュメンタリー映画 『泥の花』 完成しました。

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2013年6月14日 (金)

「オキナワを考える映画祭」のお知らせ

 過去も現在も翻弄され続けるオキナワ。歴史から今をてらしだし、未来へとつなげるために、名護の小さな会社でドキュメンタリー映画をつくりました。オキナワを考える一つのきっかけになればと思いますので、どうぞお気軽にご参加ください。(じんぶん企画)

日時:2013年6月23日(日)

場所:名護市大中区公民館

時間:16:00 開場

    16:30 1作目上映

    18:10 2作目上映

作品:『辺野古不合意~名護の14年とその未来へ~』

    『未決・沖縄戦』

入場料:無料

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2012年8月24日 (金)

「シバサシ」上映会の様子が琉球新報に掲載されました。

2012年8月11日(土)うるみん(うるま市)での上映会の様子が、琉球新報に載りました。

⇒ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-196002-storytopic-5.html

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2012年8月16日 (木)

ハンガーストライキ155 突入

問題が山積みのオスプレイ、普天間基地問題。この問題の解決のために、世界へとメッセージを発信したいと、85歳と70歳の老人二人が、2012年8月15日に、基地ゲー­ト前でハンガーストライキを開始した。この動画は、その第一日目。

http://www.youtube.com/watch?v=2UpdtsxsomI

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2012年8月 9日 (木)

「シバサシ」のダイジェスト版 

シバサシのダイジェスト版をyoutubeにアップしました。

↓  ↓  ↓  ↓

http://www.youtube.com/watch?v=ZTcGbz-gLMc

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2012年6月25日 (月)

「シバサシ」備忘録①

■今まで、短いものをふくめて、10本ほどの映画をつくってきた。「はじめは、だれでも初心者」ということばに支えられてつくってきたのだが、いまだこの呪文から自由になれない。

■安里清信(あさと・せいしん)さんのことを知ったのは、もう17年も前である。私(たち)が沖縄に移住してくる3年前に安里さんは亡くなっている。今から30年前のことである。最初に読んだものは、『新沖縄文学』に安里さんが書いた短いエッセーである。『跳梁する妖怪』という題で、不思議なほど体に残り続けた。2年前、北海道に住む花崎皋平(はなさき・こうへい)さんから送られてきた『田中正造と民衆思想の継承』を読んだのが、この映画づくりの直接のキッカケとなった。沖縄の人たちの記憶から消えつつあるこの人物を、北海道の花崎さんがずっと温めていたことに感動した。私が花崎さんの文章が好きなこともあるのだが、花崎さんが沖縄に来られたときお会いし、私はひそかにこの『シバサシ』にとりかかろうと決めた。

■この映画もいつものように、偏執狂のように年譜づくりから始まった。実は安里清信さんは私の父と同じ年で、しかも戦争中朝鮮に行き子供をもうけたのも同じであった。私は、朝鮮からの引揚時に母の腹の中にいた。年譜をつくっているうちに、どんどんのめり込みが始まり、資料あつめ、インタビュー、年譜の訂正をいったい何回やったことか。安里さんの生地屋慶名(現在のうるま市屋慶名)がよいが始まった。夜中、授業が終わって11時頃から出かけ、安里さんが植えたモクマオウ林に独りで行き、その根元にすわってタバコをすうのが楽しみになってきていた。いったい、何を考えていたのか。

■この映画づくりを支えてくれたのは、崎原盛秀(さきはら・せいしゅう)さんだった。本当にお世話になった。この映画は崎原さんによって拓かれたといっていい。ガンの手術のあと、今は畑仕事をしながら市民運動の側に身を置きつづけるこの沖縄人(ウチナンチュ)にどれだけお世話になったかわからない。計5時間近くインタビューをし、教えてもらった。

■この映画にも使わせてもらった、フィルム『琉球列伝-島小ヮ‐』に出会えたのも大きかった。所々カビが生えて見れない所があるドキュメンタリーなのだが、その制作姿勢は私を刺激し続けた。ドキュメンタリーというのはこういうものだと教えられた。松田優作のナレーションがこのドキュメンタリーを光らせた。ほとんど、人の眼にふれることなく埋もれよ

うとしていたこの作品に出会えたことに感謝である。私などはまだ足下にも及ばない。

■いれい・たかしさん。この人の文章は、私はことのほか好きである。おそらく安里さんと対談した人の中で、いれいさんほど安里さんが心を許した人はいないように思う。安里さんは有名な人があまり好きでない。大和人(ヤマトンチュ)も好きでない。いれいさんと話をしているときの安里さんは実に楽しそうだ。酒がいくぶん入って、白イカの話になるときなど、もう対談もくそもなく、上半身はだかのステテコ姿の安里さんは、ウチナー口で縦横無尽の自由人になっている。うらやましかった。いれいさんも、もう亡くなってしまった。お会いしたこともないのだが、どこかに親しみのヒモを結びたい人だった。

■安里清信さんになんとかつながりたくて、お墓に行った。今では分骨されて別の墓に入っているとのことだったが、お墓を探しに行ったことは忘れがたい。だれかに導かれたように大きな亀甲墓についた。草がいっぱいで、私は夢中になって草抜きをした。見上げると樹々がうっそうとおおっていた。西陽が樹々の間からもれ、小山の頂で大きくタバコをすった。

■今回映画の中には入れられなかったもので、記しておきたいものがある。

ひとつは泡瀬の埋立てのシーンである。「夢の実現!」として大きな看板が立っていた。老人会、商工会、婦人会、PTA連合会などなど、20も余る団体がその夢の看板に列記されている。ヨットハーバー、ビーチ、アメニティ広場など夢の絵がでかでかと描かれていた。4回ほど撮影に行った。行くたびに、この映画をどんなことをしても完成させる、という気持ちがわいてきた。ただ、安里清信さんの映画の中にはどうしても入れたくなかったのはなぜか。

■そんなこんなのてん末を、まず書きとめておくことにする。

 

2012/06/23 輿石記

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2012年5月25日 (金)

映画『シバサシ』の記事が琉球新報に掲載されました。

2012年5月25日の琉球新報に『シバサシ』の記事が掲載されました。

          ↓  ↓  ↓  ↓

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-191649-storytopic-1.html

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2012年5月14日 (月)

新作 ドキュメンタリー映画 『シバサシ -安里清信の残照-』 制作中

輿石正監督、じんぶん企画制作の新作ドキュメンタリー映画『シバサシ-安里清信の残照-』を制作中です。

2012年6月23日(土)13:00~、名護市民会館で1回目の上映会を行います。今後は、6月末に沖縄国際大学、7月初旬にうるま市近くでの上映会を予定しています。上映会の詳細は、じんぶん企画HP「やんばるDVDウェブモール」にてご確認ください。なお、映画DVDは7月2日(月)~リリース予定です。

5月4日の沖縄タイムスに取材記事が掲載されました。

            ↓    ↓    ↓

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-05-04_33330/

一人でも多くの方に見て頂けるような映画ができるようにがんばります。(じんぶん企画)

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2011年6月22日 (水)

ドキュメンタリー映画『10年後の空へ』 上映会日程

◎福島上映会 

日時:2011年7月14日(木) 1回目15:00 2回目18:00

場所:クラブソニックいわき  料金:ドリンク代 500円

連絡先:クラブソニックいわき(℡:0246-35-1199)

※監督も参加します。

◎東京(仮)上映会

日時:2011年7月16日(土) 18:00~(仮)

場所:国分寺労政会館 第5会議室(仮) 主催:福島原発の「廃炉」を求める有志の会

※正式決定後に更新します。

◎沖縄上映会

日時:2011年7月17日(日) 19:00~

場所:名護市民会館中ホール

料金:【前売り】大人400円 高校生以下200円

    【当日】大人500円 高校生以下300円

主催:じんぶん企画(℡ 0980-53-6012)

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2011年5月16日 (月)

ドキュメンタリー映画『10年後の空へ』制作・備忘録 (2)映画への初めの一歩

 「シネマトゥデイ」という所が、『10年後の空へ』の紹介(?)記事をネット上にアップしてくれ、それがあちこちに配信された。アクセスが多いようで、見知らぬ人からメールが届く。私は、ネットとは縁遠い男なのだが、現代日本の状況を実感せざるをえない。もともと、この映画の紹介は、沖縄の地元紙「琉球新報」の取材においてなされた記事であった。割と大きく扱われたせいか、それを「シネマトゥデイ」が見つけ、広まっていた。

 空の映画をつくろうと思ったキッカケを記しておく。

 4月16日、宜野湾市海浜公園で「琉球海炎祭・花火イリュージョン」という大そうハデな、今年初の花火大会があった。私は、全く知らなかった。私の予備校の生徒のひとりが、この花火大会のチケットをもらったから、村重さん親子に使ってほしいと言ってきた。私は行く気がなかった。空が、見たい!と言ってきたので、車の運転手ぐらいの気持ちで行った。どハデな演出によるこの花火大会は、沖縄で一番大きなものだということが行ってみてわかった。音楽のうるささに閉口しながら、次々に打ちあがる花火を見ていた。記念にと思っていつものようにビデオカメラを持っていった。花火を見ている空を撮っていた。アップしたとき、空の瞳に花火、そして暗闇にかすかに見えるお母さんの顔を斜め下から撮った。その二人の表情と情景が、『10年後の空へ』というドキュメンタリー映画をつくろうとした直接的なキッカケであった。とは言っても、どうして、それがと思われるかもしれないが、私にもそれ以上の説明はできない。強いていえば、そこに<人間>が見えたからである。被災者ではなく、ごく普通の人間としての空とお母さんが私にはっきり見えてきた。私が映画をつくろうと思うときのキッカケは、私自身が、その対象側を「人間」として、愛着を持ったときである。それ以外はいらない。その愛着の出所を掘り下げていくこと、それが私のドキュメンタリーづくりの基本である。

 花火大会の帰りの車中で、私はお母さんに、空の映画をつくりたい、と言った。ストーリーもなにもできているわけではないが、私という人間を、10年後の空に交わらせたいと思った。その「私」は、ここ15年間、沖縄の米軍基地移設問題で、苦しんできた「私」であった。さらに「がんばろう日本」、「ひとつになろう日本」、・・・画面・紙面がどこもかしこも連呼することへの、私の違和感がそこにあったことも確かである。くり返されるこれらの標語がなんとも気味悪く、私はなんとかそれらから身を離したかった。そういう「私」で、10年後の空と話がしてみたかった。58年間の差を縮めて空と話すことが、今回の地震・沖縄と原発問題に関する私のひとつの姿勢である、と思った。

 いつものように、ポンと一歩出て映画づくりにむかうわけだが、それからの葛藤は、これまたいつものようにすさまじい。それは、あたり前のことであって、苦しみとはちがう。体力がきつくなって眠れなくなる日が続くだけのことである。どんな仕事でも、よくあることだ。

 映画にすることは、空にも話した。”いいんじゃない。”が空の返答であった。「10年後の空」を今の空に想像してもらうことは難しい。その難しさは、空と私の人間関係の難しさである。58年の年月を超える何かが芽ばえるかどうかであり、私の中に、「10年後の空」を宿せるかどうかだろう、と思う。10年後に激しい拒絶が生まれることもあるだろうし、それを回避しながら作品を作ってみようとは思わない。10年後に、ハッピーな再会などと思ってもいない。だいいち、私が10年後生きているかどうかもわからない。実にのんきな「10年後」に足をすえて、「今」に賭けてゆく。

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