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2008年5月

2008年5月20日 (火)

『未決・沖縄戦』の映画をつくるにあたって

 この映画をつくらなかったら、これほど沖縄戦について向き合うことはなかった。現在(いま)の沖縄そして現在(いま)の日本を知ることのひとつの足場をさがす、苦しくとも楽しい旅だった。

 沖縄北部山原(やんばる)の字史・字誌・個人史を読みあさるのはすこぶる楽しい時で、眼が疲れると、カメラを担いで山原・伊江島をうろつき、証言者と向き合った。証言者がカメラに慣れてくれるまで待ち、一人に数時間の撮影だった。人を撮ることは難しい。ましてやその人の奥ゆきを撮ることは私にはまだできない。画面の中に発せられることばにカメラをまわしていることを忘れることもしばしばだった。

 スタッフが地図をつくり、色ぬりをし、編集し、HPを立ち上げたり、予約先のリストを作ってくれたりするのを見ながら、どんどん細部にこだわる自分が怖ろしかった。伯父や義理の伯父が20代で沖縄の地で戦死していることが、時々思い出されて、カメラをまわすことを忘れてしまう。時が逆回転し早送りの中でまっすぐにたって見えるときがあった。

 有事法制化、憲法改正へと突き進む21世紀の初め、沖縄を定点観測的に記録し続けたい。証言を拒む人に出会った時のあの充実感とホッとした気持ちはなんだったのだろう。<証言>を撮るとは証言を拒む人、そして証言のできない死者に出会う渡し舟のようなものだろう。行き先のさだかでないその渡し舟にゆられる時が一番楽しいときだ。その渡し舟は自在にとびまわり、気がつくと森の中にそして壕の中に入っていって見知らぬ眺望がひらけてくる。

 私の「戦争」は、戦場や戦闘になかなか向いてくれなく、収容所に送られる人、避難民、朝鮮人軍夫、朝鮮人慰安婦、そして戦争直後の沖縄のカオスへと迷いこんでいく。そこが一番落ち着くし、緊張もする箇所だった。

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この映画は山原での沖縄戦の時期と重ね合わせるようにして撮り続けられた。当時はどんな季節だったのか、雨は、風は、温度は、がいつも気になっていた。授業と授業の間にカメラを担いで出て行く私を支えてくれた職場の人たちに支えられた映画だった。何十時間もフィルムを使い、図書館に走り、車に飛び乗り、船に飛び乗り、証言者に会いに行き、取り直しを続けることを許してくれたスタッフに本当に感謝している。     

    

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