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2010年8月

2010年8月18日 (水)

『辺野古不合意』制作余滴  (3)稲嶺進名護市長インタビュー補録

6月24日、稲嶺市長とのインタビュー時、実のところ、私は複雑な心境だった。事前にインタビュー主旨を届けていたのだが、私の中にくすぶっていたものがあって、主旨のインタビュー直前に、それをはき出した。フライング気味の質問だったが、市長は冷静にこたえてくれた。それは映画の中にものっているのだが、13年間名護市役所の中枢にいて、基地受入れ市長のもとで働いていた稲嶺氏が、今回の市長選で、明確に「基地受入れ反対」を打ち出したその動機にまつわる質問であった。

13年前、名護市久志支所での防衛施設局による辺野古基地建設の説明会で、名護市側から出席していた稲嶺進総務部長に、私は声をあらげて、「稲嶺部長、前に出てきて名護市の見解を説明せよ!」とせまった。最後までひと言も発言しなかった稲嶺氏に、私は肩書きもはずして、「稲嶺進、逃げないで説明しろ!」と追いうちをかけた。私は、この時の光景をはっきりと覚えている。防衛施設局職員のパワーポイントを使ったダラダラとした説明に業をにやして、私はどなっていた。説明会の一方的なワンパターンの進行にがまんがならなかった。その頃、私は辺野古から6キロほど北の東海岸のヌーファという所で、自立の地域おこし事業・エコネット・美の現場づくり―手作りの山道づくり―をしていた。沖縄の山原の東海岸は、切りたって急斜面が続き、そこに山道をつくることは気ちがいじみた行動だった。しかし、汗もかかず、基地の金にすり寄る当時の名護市当局の姿勢がなんともイヤであった。予備校業務のあい間をぬって、私より半年年長の60才の具志堅勇とふたりで、山肌にへばりつくようにして山道をつくった。その後、道の変更をふくめ、山道づくりはのべ5年におよんだ。

今回、稲嶺市長にインタビューするにあたって、私は、あの頃のことを胸に置いていた。今回の映画の中で、稲嶺市長の「基地移設ノー」へのきっかけとなったことは何か、という質問は、そうした私の胸の中から飛び出した質問であった。イヤな顔ひとつせず、市長は自ら整理するように答えてくれた。そして、その答えに対する私の態度(behavior)は、稲嶺市長インタビューの直後に一人の市民・渡具知武清さんインタビューを重ねるようにして入れることであった。うまくいったかどうかはわからない。私の思いが強すぎているかもしれないし、映画というメディアの特徴を殺してしまってはいないかとも思う。

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2010年8月17日 (火)

『辺野古不合意』制作余滴  (2)名護での第1回上映会を終えて。

 8月12日(木)、名護市民会館中ホール。170名ほどの人が来てくれた。

すべて自前でやるわけだから大変ではある。これからもこの方針は変えない。

制作だけでなく上映会を通じて学べる所は大きい。次作の糧にするためにも直接話をうかがえることや、アンケートの声を読むことは大切だ。

上映会の前にちょっとしたハプニングがあった。名護市には映像を投射するプロジェクターがないのである。前々日にそれを知らされてあわてた。と同時にあきれてしまった。13年間で700億の基地がらみ資金(税金)が投入された6万人の街に、6年前からプロジェクターが故障しているというのだから、あきれて口がふさがらなかった。なんとか借りたもので事をすませたが、きれいな画面の映画を見てほしかった。映画は映画館で見るものという思いが強い私にとって少し辛い上映会であった。

アンケートのほとんどにあったことだが、700億円の基地関連資金がどこに使われていたのかについて名護市民ですらほとんど知らない、ということであった。私自身も、調べていく前と後では全くちがっていたわけだからある程度は予想をしていた。市の職員や市議会議員の人たちも部分的にしかわかっていなかったことはかなり驚きだった。「基地」は、知らないうちに名護市民のくらしのすみずみに入り込んでいたのである。と同時に、基地がらみ資金の半分近くは、10%は市の負担となっている。しかも、名護市の場合、そのほとんどは市債(借金)によってまかなわれたために市債の累積はふくらみ続け、年間予算の10%近くは市債の返済にあてなくてはならないという借金地獄に名護市は陥っている。箱物をつくった業者だけがうるおい名護市の貧富の格差は広がり続けた。

 今回の映画のポイントの一つはこの「基地関連収入」分析であった。そのことによって辺野古の問題をよりくらしに密着した形でとらえ直してみたかった。その制作主旨からして今回の上映会での声やアンケートは想定内のことであった。基地問題をこの地点からとらえ直さないと「地元」の深い問題点は描けないと私はずっと思っていた。名護市役所に何回も出むいて、資料の分析をしなくてはならないものだが、商人としての私にとって、この財政問題は見のがせない所であった。「基地」は、経済的側面から考えても実に効率の悪い、しかも未来に遺恨を残すものであることをどうしても出しておきたかった。

制作が終わって、次の作品の一歩目を忘れないように記しておく。

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